技術の進化が人間を退化させる
2018年は週に1回更新したいと正月に書いてからはや1ヶ月が経っていた。(白目)
さて、先日アドタイに次のような見出しの記事が出ていた。
【「決めてくれ」病のワカモノたちに効く、「決めてあげる」モノづくりの工夫】
ここで詳細に内容に触れることはしないが
まあつまり、現代人は情報過多な毎日の中で“決める”ことに疲れているから、“決めてあげる”サービスが価値になります、若者にウケますという話だ。
確かに誰かが自分のすべきことを決めてくれるのは便利だが、それは便利という言葉で済ませていい状況なのだろうか。
最近は
AmazonやNetflixなど、「この商品を買ったあなたは次にこれを買うんじゃないですか?」、「この作品を見たあなたはきっとこの作品も好きだからぜひ見てください」というような表示がされる。(実際にどのぐらい利用している人がいるのかは知らないし、ブログなので特に調べてもいないが)
これは便利な機能だ。
人間がいちいち行動を起こす前に、腰を据えて思考する必要がなくなる。
しかし、考える必要がなくなり、日常的に考えることをやめた人間は、いつか考えようと思っても考えられなくなる危険性を孕んでいる。
現在、めまぐるしいスピードで世の中は進化し続けている。
昨日よりも今日、1時間前よりも今、世の中は便利になっている。
この進化の行き着く先はどこだろうか。
世の中を便利にする仕組みは確実に世の中で求められ、その仕組みの開発によってお金も得られる。しかし、大局的に人類の歴史を考えた時、技術の進化こそが人間の退化を生むかもしれない。
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