都会は透明人間の集まり

 

東京は人が多い。通勤・帰宅時の電車の車内だけではない。どこを歩いても人。人。人。とにかく人が多い。

 

都会で暮らしていると、ふと自分は透明人間になれるような気がする。多くの人が交差するスクランブル交差点で、自分の存在意義を問う。

 

田舎に行くと、道を歩いているのは自分一人、という状況が大いにある。自分がそこにいることで、人のいる道という場を作っているのだ。

 

何が言いたいかというと、自分の存在意義を見つけようということ。自分がその場にいないと、その場が成り立たないような人間になろう。そして、その場はどんな場でも良いと思う。しかし、その場が何か社会に役立つ場・生産的な場であると、より自分の存在価値は高まり、自分は透明人間ではなくなるのではないか。

 

今(午前1時半)、睡眠時間を削って仕事をしている僕は、果たして透明人間だろうか。そんなことを考えながら徹夜で仕事をする21手前の夜。

 

 

 

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